草むらサラダ

神戸大学4年生、ぶさべじ出身、今日もおなか空きました

【GW日記】”死”とはなんなのか?

 
みなさんGWいかが過ごされましたか?
 
私、 久保陽香 (@U70604) | Twitter香川県丸亀市綾歌町に帰省していました。

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今回は、母とキトクラス(山一木材)さんに行き、木に囲まれて読書したり
奈良から来た姉カップルとご飯やらドライブしたり、家族でナン作ったり
子供の日には昔の写真ひっぱって懐かしんだり
家族とのひと時を満喫しました。😳
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キトクラスカフェ
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ぽてぽて幼少期@沖縄

 


そして今回一番心に残った出来事は、今回の帰省目的であった祖父の49日法事でした。

 
じいちゃんはいつも好奇心くすぐられることを沢山経験させれくれて、久保の人生に大きな影響を与えてくれました。
じいちゃん家に遊び行った時には、裏山探検に連れてってくれて山のことを教えてくれたり、大量のチャップリンの映画を観せてくれたり。
 
そんな、大好きなじいちゃんの死。
そして、それは私にとって初めての身近な人の死でもありました。
しかもじいちゃんが亡くなった時、私は中国にいて連絡もつかず、帰国した時にはもう葬式も終わっている状態でした。
すごく後ろめたい気持ちがいっぱいでした。
 
●目次 
 

じいちゃんの49日

当日までは、まだ祖父の死を信じられていませんでした。
でも、法事が始まってからは、「ああ、じいちゃんは本当に死んだんだ」って理解してきて、様々な思い出がぶり返してきて、涙を止めるのに必死でした。
 
 
親族の中には、祖父の死を「もう寿命だったから、仕方ないねえ〜」という人もいれば
「亡くなる3日前にした手術のせいだ、手術していなければ…」と残念がる人もいました。
 
 
 
「寿命だったら、じいちゃんもみんなも幸せなのかな?」
 
「じゃあ、今私が死んだら、みんなはどう思うんだろう?」
 
 
 
 

久保が死ぬときは?

 
私が小学生の時に導き出した死の恐怖から逃れる方法があります。
 
それは、
 
「人の心に残る人間になること」
 
 
 
 
 
勘のいい方ならお気づきかもしれません。
 
そうです。
あの方に教えてもらいました。
 
 
チョッパーの名付け親、ドクターヒルルク....っっっ!
 
有名なあのくだりです
「人はいつ死ぬと思う…? 
「…人に忘れられた時さ…!!!」
「おれが消えてもおれの夢はかなう」
「病んだ国民の心も きっと救えるさ…!!」

 

いや熱すぎって...っっっっっっ!!!!!!!!!
 
死ぬのが怖くて夜も眠れないようなビビリだった幼少期の久保を「死への恐怖」から解放してくれました。
詳しくは、ワンピース16巻をご覧ください。ぜひとも。🙇‍♂️
 
 
 
では、本題に戻って。
「じゃあ、今私が死んだら、みんなはどう思うんだろう?」
 
ヒルルクに教わったように、私は納得できる死を迎えられるのだろうかと思いを馳せてみました。
 
今この瞬間、私が死んだら、悲しんでくれる人はきっといるだろうな。
そんな久保を心のどこかにとどめてくれる仲間が沢山できたなあ〜と思い、ちょっと嬉しくなりました。😳
 
でも想像してて、一番リアルだなと思ったのは、
「人生これからって時に、残念ね。」
「あんなに大きな目標もってたのに..」
「かわいそう」
という声。
 
 
 
んーーーいや!!!
なんかやだ!!!
今死んだら、客観的にまさしく”道半ばにして死す”って感じ!(ちょっとかっこいいけど!笑)
心に残っても、悲しまれるのは、なんか違う!!(ちょっと寂しがってほしいけど!笑)
 
 
 

理想の死とは?

 
私という人間は、目標を定めそれに向かい頑張るのが好きなタイプではあります。
だからその目標への達成欲は大きいけれど、
それと同じくらい、むしろそれ以上にその過程も全部楽しんでいます
 
だから今死んだら、そりゃ残念ではあるけど、ちゃんと成仏はできると思っています。
 
 
私たちは、毎日命を燃やし続けていて、その過程を”老い”といい、その命が燃え尽きた時を”寿命”という。ただ、それだけで。
だから、人生どれだけ老いて死ぬかとかどうでもいいことだなって思いました。
 
万人に命と死は平等に与えられていて、誰がいつ死ぬかなんてはわからないからこそ
命ある限り、歩む道は自分が心から納得して進もうと思いました。
人生の目標を決めようが決めまいが(決めた方が進みやすいけど)、人生というものは、今この瞬間、自分が選んだ道が積み重なっていくだけだなんですよね。
 
んで、もし長生きできれば、その軌跡が長く深くなってラッキー!くらいのテンションで生きていきたいな、と思った!
 
 
んで、私の理想の死とは、理想の生き方と同じことで、
自分の心に正直に進み続けて、いつでも幸せな状態であり続ける。そしてどうせ生かされて命なら、自分が大好きな自然や人々を幸せしようって感じかな。
 
これかなって思います。
(あれ、前のブログと同じこと言ってる?笑)
 

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幼き久保のように素直にね
 
 
 

ぼやき

 今まで読んで来た啓発本で、”すべて意思決定だ”、”すべての物事は意味をなす”、”自分の選択を正解にしろ”とかいうメッセージングを受けて、なんとなく理解してたけど今回すごくそれを実感しました。
 
それに、めっちゃ前にひすいこたろうさんの「明日死ぬかもよ?」 を読んだ時、めっちゃ胸打たれたけど、結局毎日死ぬことなんて意識できずに毎日を過ごしていました。
 
 
 
でも、今回大切な人の”死”を感じてはじめて、色々なことが腑に落ちました。
じいちゃんありがとう。
 
そういう点で、法事というものは、死者の冥福も然り、残された親族が「人生」を問い直すという意味でも、大切な儀式だと再認識しましたし、
このブログも、ある種の遺書になりうると思いました。だから、少しの心の変化でもこうやって書き留めて発信して、いつ死んでも大丈夫なようにしておきます!
 
 
しっかし、自分の考えまとめるって難しい!!邁進あるのみ!
それでは、明日から学校みんなに会えることを楽しみにもう寝ます
おやすみなさい〜〜〜